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「正信偈」には何が書かれているの?“正信”の意味を解説

浄土真宗の法事や葬式で読まれる「正信偈」。

そもそも正信偈の“正信”とはどんな意味なのでしょうか?
正信について解説をします。

shoshinge

お経の内容を“詩”にして要約されたのが正信偈

テレビドラマで葬式のシーンでも、たびたび正信偈が読まれているのを耳にします。

なので正信偈は「お経」だと思っている方も多いのですが、正信偈はお経ではありません。
お経はお釈迦さまの説かれたことを書き残したものだけであり、正信偈は親鸞聖人の書かれたものです。

けれど、お経と正信偈には密接な関係があります。
お経の内容を要約されているのが正信偈なのです

参考:http://shinrankai.com/blog/shoshinge/

では正信偈にはどんなことが書かれているのでしょうか。

まず正信偈の偈とは、詩(うた)のことです。
仏の教え(仏教)をたたえるのに韻文の形式で述べたものをいいます。

正信偈は親鸞聖人が、仏教に詳しくない人にも親しみがわくようにと、仏教の内容を詩にされたものなのですね。
1行を7字で書かれており、全120行840字で構成されています。

正信偈の“正信”とは、どんな意味か?

次に正信偈の“正信”とはどんな意味かを解説します。

正信とは、正しい信仰のことです。

仏教では信仰のことを特に信心(しんじん)といわれます。

信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的である

参考:信仰 – Wikipedia

信仰や信心と聞くと、特定の宗教や、特定の神や仏を信じることのみ、と思われている方が多いです。
ところが特定の宗教、神や仏だけでなく、人やものごとを信じることも信仰であり、信心です

すべての人は何かしらの信仰・信心を持っている

人は他者を信じ、他者からの助けがなければ生きていくことはできません。

「私は生まれたときから誰も信じることなく、誰の力も借りることなく大きくなりました」なんて人はいないですよね。子供のときはどんな人も、自分の親を信じて生きています。

家族や友人、あるいはお金や肩書など、心の拠り所としているものがあれば、信仰・信心を持たれている、ということです。

このようにすべての人は何かしらの信仰・信心を持っているのです。

ずっと心の拠り所となる信仰・信心

ここで焦点を当てたいのは、果たしてそれらの信仰・信心がずっと私たちの心の拠り所となるのか、ということですね。

家族や友人ともいずれ別れるときがきますし、お金や肩書を失うことも多分にあります。

それらに対して、ずっと心の拠り所となるのが正しい信心なのです

その正しい信心を詩にして教えられているのが正信偈なのですね。

正しい信心とは何かを講座では詳しくお話ししていますので、関心を持たれた方は講座にご参加ください。

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