浄土真宗親鸞会 東京

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仏教講座

仏教とはアキラメ主義ではないのか


 私の両親はよくお寺へ参詣しますが、よく私たちにアキラメが大事だといいます。仏教はアキラメの宗教かと思われます。何もかもアキラメてゆくところには進歩も発展も努力もありません。仏教がアキラメの宗教なら我々青年は聞く気にはなれません。


答 
アキラメルという言葉は、確かに仏教から出た言葉ですが、仏教でいう意味と、今日、世間の人々の使っている意味とは全く変わっていることを明らかに知って頂きたいと思います。
仏教ではこれを諦観といわれているのです。諦観とは、諦は印度の原語「サットヤ」で真理、明理ということです。観はミルということですから諦観というのは「アキラカニ真理ヲミル」ということなのです。この「アキラカニミル」の仏語が次第に変化して「アキラメル」になってしまったのです。
ところが言葉がこのように変わっただけならよかったのですが、その表す意味までが変わってしまったのです。
世間では、アキラメルといえば、何か、いい加減にして片づけたり、ごまかしてゆくことのように思っています。財布を落として困っている人に「いい加減にアキラメロ」などといいますのも「いい加減に忘れてしまえ」という意味に使われています
これではあなたのいわれるように、アキラメ主義は進歩も発展も努力も失わせる考え方になってしまいます。行灯でアキラメておれば、今日の電気や蛍光灯は発明されなかったであろうし、ラジオでアキラメておれば、テレビは造られなかったでしょう。只今の自己でアキラメてしまえば、その人の進歩向上はなくなってしまうでしょう。確かに、このような意味のアキラメは、我々の敵です。

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